猫のひたい

狭い了見からの、想いつき・・・

法道仙人と役行者

 堺市南区に感応寺と法道寺があり、その開基が法道仙人(生没年不明)である。
法道は、インドの仙人で、6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと渡ってきたとされる。

伝承によれば645年(大化元年)、北辰(ほくしん、北極星)の霊示を受けて刻んだ、妙見菩薩の像をこの地に安置したのが感応寺の起こりであるという。
また法道寺の寺伝によれば、白鳳10年(670年)に開基され、山号(鉢峯山)は法道が当地に鉢を納めたことによる。

というのも、鉄の宝鉢(ほうはつ)を持っており、空鉢(くはつ-)、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれており、これが空を飛び回ったという伝説がある。
なお、播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺し、数多くの勅願寺を含む所縁の寺(兵庫県だけで24)がみられるのだ。 

これだけならWikipediaの受け売りで終わってしまうのだが、645年はご存知の大化の改新があり、670年は法隆寺の全焼が、『日本書紀』に記録されている。
これだけで時代を読み取ることは無謀であるが、わが国に同じころ、役行者(634伝-701伝)が居り、必ずやこの二人が見(まみ)えたものと思うのである。