猫のひたい

狭い了見からの、想いつき・・・

足利尊氏・夢窓疎石、そして光厳院・・・

河内長野市金剛寺に、北朝初代天皇の、光厳(こうごん)上皇(1313-1364)の分骨所がある。
第96代後醍醐天皇(1288-1339)の失脚を受けて、皇位に就いた天皇であったが、復権した後醍醐が、自身の廃位と光厳の即位を否定したため、歴代天皇126代(令和)の内には含まれていない。

つまり、ここから南北朝時代(1336-1392)の57年間の攻防が続くわけだが、その行在所が同時に存在していた時期が、天野山金剛寺にはあったのである。
南北朝と言えば、後醍醐から始まり、楠正成・正行親子が語られることが多いが、ここで初めて、北朝についても意識することができた。

というのも、後醍醐天皇の追善供養(1345)が、光厳院の勅裁のもと、足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として天龍寺で催されたのだ。
とは言っても、和平には結びつかず、第99代まで南朝が占め、北朝第6代後小松天皇に至って、第100代天皇として継承され、令和へと続いているのである。

 

【参考資料】

『地獄を二度も見た天皇 光厳院』(飯倉晴武