猫のひたい

狭い了見からの、想いつき・・・

『梁塵秘抄口伝集』に魅かれて・・・

平家物語』の巻一には、白河法皇(1053-1129)が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話がある。
そのひ孫にあたるのが後白河法皇であり、‟今様”の『梁塵秘抄』を編集した人である。

熊野へ参るには
紀路(きぢ)と伊勢路(いせぢ)のどれ近し どれ遠し
大慈悲の道なれば
紀路も伊勢路も遠からず

その熊野参詣は、白河法皇は9回、後白河法皇は33回とも34回とも言われている。
たしかに、山法師を嫌った?白河にすれば、僧兵のいる山寺には行かないかもしれない。

しかし後白河は、比叡山にも高野山にも行幸してはいるが、熊野行幸の回数は異常である。
しかも隠居ではなく、院政を行なっているのだから、その空白期間は、都から熊野まで往復で約720キロ、ひと月近くかかる行程なのだ。

その熊野でのエピソードが、『梁塵秘抄口伝集』(後白河上皇著)に挿入されているのだ(1回目と2回目、そして12回目)。
多くの従者と共に、女院白拍子を引連れて、♪今様という音曲♪を以て、トランス状態に陥っているのだが・・・。

ほとけは常にいませども
うつつならぬぞあはれなる
人のおとせぬあかつきに
ほのかに夢にみえたまふ